SLIDE C MIX ~3rd season

29歳。音楽と読書、仕事も恋も。

光++

「凍りのくじら」を読み終えました。昨夜のカフェのあと家に帰ってから一気に読みました。


別所ォォォオオォォ!!(p´Д`q)。゚・
思わず叫んじゃいました。まさかまさかまさかの大どんでん返しというか予想外すぎる展開すぎて。オドロイタと同時になんとなく私が惹かれている人と似ている理由がわかって妙に納得した。だから、"そういうふうに彼女のそばにいた"んだと。



「私が、自分に名付けたのは、少し・不在。私はどこにいても、そこに執着できない。誰のことも、好きじゃない。誰とも繋がれない。なのに、中途半端に人に触れたがって、だからいつも、見苦しいし、息苦しい。どこの場所でも、生きていけない」
辻村深月 著 「凍りのくじら」より引用



私は、主人公の理帆子みたい頭はよくないと思う。だけど、理帆子が言っていることはけっこう共感できるなぁ。私も他人に無関心でテキトーに合わせることはいくらでもできるけど、それでいてさみしがりやで誰かと繋がることを求める。だけど、誰かを好きになることも誰かに好かれることも私は怖がる。最近、考えたの。"孤独"ってどういうことなのかなって。それは誰も信頼できないということなんじゃないだろうか? 誰かとぶつかることもその"誰か"がいるからできることだ。誰かに会いたい、好きだと思うこともその"誰か"がいるから思えることだ。だから、私は決して孤独ではないんだと思った。信じたいと思える人がいるから。

私も愛をもってオススメします、この一冊。

凍りのくじら (講談社文庫)

凍りのくじら (講談社文庫)






iPod再生中…この曲、何だっけ?と思ったら某WO(=私が某吹奏楽団にいなかった空白の1年半の間に所属していたウィンドオーケストラ)でやった曲だった(-∀-;) 曲のあとに思いっきしトランペットさんの声が入ってるし。
学生の頃は本当に一曲一曲を大切に地味にひたすら練習していたから暗譜する勢いだった。だけど、社会人になってからはそうもいかないし吹奏楽が私の世界の中心でなくなってしまったからあの頃とは違う。それでも私は今もトロンボーン吹きだし、もしそうじゃなくなったとしても何らかのカタチで音楽のそばにいるだろう。できたら、一生プレイヤーでいたいけどね(^ー^;)

吹奏楽って私にとって麻薬みたいなモノで辞めたと思ったらまた戻りたくなってしまう。辞めることを悩んだ時期もあったしね。実際にわざわざ重い楽器を持って練習会場に出向くのも面倒だし、土日は遊んだりダラダラしたりしたいけど、やっぱり同じ場所に戻ってきた。何が私にとってそんなに魅力なのか?と問われたら、やっぱり"ひとりじゃできない"ところなんだろうなぁ。あんなに大人数で男女も年齢もいろんな壁もなく楽しめることってあんまりないんじゃないかと思う。まぁ、いろいろ理屈つけるより単純明快にただ好きなんすよ、なんだかんだ言っててもね。




Yahoo!ニュースにて衝撃的な記事を発見。上手くリンクできなかったから以下抜粋。
「Sexをすることに関心がない、または嫌いという若い男性が2年間で倍増していることが12日、厚生労働省研究班の調査で分かった。
この調査は性に関する意識や行動をテーマに2年ごとに実施。性交渉をすることに「とても」または「ある程度」関心がある人は、男性81.4%、女性49.0%で、ともに2008年の前回調査より低下した。「関心がない」もしくは「嫌悪している」と回答したのは、男性17.7%、女性48.4%。特に16〜19歳男性では36.1%(前回17.5%)、20〜24歳男性では21.5%(同11.8%)と2年でほぼ倍増していた。」


その人が生まれ持った考え方や後天的な影響とか踏まえても無関心なことはひとつの個性だと思う。だけど、個人的にはショックな記事だ〜(p´Д`q)。゚・ 私は、限りなく「とても」に近い「ある程度」関心があるほうだけど、女性の2人に1人が「関心がない」もしくは「嫌悪している」となると、そりゃ少子化も進むわ。軽はずみにするべき行為ではないと思うけど、そういうことをシャットアウトしてしまうのも少しさみしい気がする。

相手を信頼しないとできない行為だと思うから。その信頼が必ずしも恋愛感情じゃない場合もあるだろうけど(爆) なんだかこの結果が現代社会における希薄な人間関係を反映しているような気もしなくもない。だって、それって他人に無関心ってことじゃないのかな。私は臆病だからこそ他人と繋がることを求めるし、泣いてもバカだから何度でも誰かを好きになる。それは、きっとこれからも変わらない。